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長崎・江戸時代へGO!4 グラバー園・前編 [┣おでかけ写真付・長崎]

今回の「お江戸の旅」は、1821年以前についての調べ旅でして。
江戸時代といえども、坂本龍馬もシーボルトも除外なのであります(細かっ・笑)。
「グラバー園」は予定に入れていなかったのですが。
折角「長崎さるくパスポート」を購入したので、急遽グラバー園に向かいました。

長崎は地形的に仕方ないのでしょうが、一方通行も多いし、駐車も苦労しますなぁ~ 
車での長崎旅行のネックはこれですな。
長崎市内の旅行は、早めにホテルにチェックインして、チンチン電車で動くのをおススメします。
とはいえ、うちは午後6時チェックインの予約をしていたので。
車君を連れて回らなければならない(笑)。

グラバー園近郊も駐車場が多くないみたい★
路上に停めて、鍵を係りの人に預けるという形。
後でどっかに移動してくれるのでしょう。
車とキーを預けて、坂道をえっちらおっちらと上っていきます。
行かれた方はご存知でしょうが、結構急な斜面ですよね。
既に「出島」で散々歩き回っていたので、
子どもが「疲れた、座りたい」とギブアップするのを宥めすかして上りました。

途中に、大浦天主堂。

中のステンドグラスがキレイですよね~v
今回は外から見るだけ~
子どもは六年の修学旅行で、長崎に来るでしょうから(笑)。

更に右手の坂を少し上ると階段が出現。階段を上って、入り口へ。

ココからはエスカレーターが付いていました。

エスカレーターを上ったところで、事件勃発。
私め、あまりの荷物の重さに、車の中にガイドブック二冊を置いてきたのですが。
その本に二人分の「長崎さるくパスポート」が挟まっていたらしい。
パスポートが一冊しかないのです。げげーん。
で、ダンナに取りに戻ってもらったのですが(酷っ★)。
なかなか来ないなぁと思ったので、子どもと少し下に下りたりしてしていたら。
行き違いになっていたらしく、ダンナから物凄く怒られました(><)。
「俺は走るんだから、数分で来るのに、じっとしとけ(怒)」と。
怒りまくるダンナを、右から左に受け流す~♪(お前はムーディ勝山かぁ・笑)

これまでの写真を見られたらおわかりでしょうが、ダンナも子どもも手ぶらです。
私だけ荷物があるのですよね……
行く先々で買ったり貰ったものは、全部私に回してくるのですよね。フッ。

てな事もありましたが、無事、入場しました(ささっち、反省の色なし★)。
通常グラバー園の入場料は、大人600円、高校生300円、小中学生180円。
期間によっては、夜間開園もしているそうです。
今度は是非、のんびりと夜間に訪れたいです。

管理事務所から更にどんどん上がっていくのですが。
エスカレーターから、動くスロープに変わるのです。
こんなのは初めてなものだから、子どもが大はしゃぎ☆
ただ、斜めになっているので、乗る際にはちゃんと手すりを持った方がいいですよ。
後方へ「おっとと」となりますから(経験者は語る・笑)。

二番目のスロープに乗る前に撮った長崎の町。

この写真ではわかり辛いですが、斜面にみっちりと家が張り付いている。
改めて、独特の地形だなぁと思いました。


スロープ終点の先。
「ここが園内で一番高い場所」と後方に立て札がありました。


旧三菱第2ドッグハウス。
二階に船の模型が展示してあります。

二階からの眺め。
対岸に三菱重工長崎造船所が広がっていました。

旧三菱第2ドッグハウスの池には、立派な鯉がいました。

どこでもエサをやりたがる子ども(エサ代100円)。

残念ながら一番大きい鯉が写っていませんが★
なかなか、みんな大きいでしょ?
「大きいが、上品な鯉というか、のんびりしているというか、
 他所の鯉と違って、がっついてないので優雅に見える」(ダンナ談)


長崎・江戸時代へGO!3 出島・後編 [┣おでかけ写真付・長崎]


中央奥に見えるのが、「表門」
本来は明治期の中島川変流工事で削られた部分にあったらしい。
表門橋で、対岸の江戸町と繋がっていたという。

画面に写ってない左の対岸に、
長崎奉行所西役所(現・長崎県庁)があったのか……


キャピタン橋と葡萄棚。
1798年(寛政10年)の大火前後に描かれた出島の図を元に、
1960年(昭和40年)に復元したそうです。
川原慶賀(1820年辺り)以降の出島の図には、出てこないそうですよ。
キャピタン橋と葡萄棚の近くに、バドミントン伝来の碑がありました。
ビリヤードも出島に来ていた阿蘭陀人が持ち込んだそうです。
あと、ボーリング伝来の碑はグラバー園の近くにあると聞きました。

昭和51年(1976年)に製作された、15分の1の出島の模型。


ご存知の通り、私の腕ではなかなか上手い事撮れませぬ。てへっ。


旗竿 Flagpole  高さ約30m(15間3尺)

入りきれないので、先端を別に撮りました。
旗竿は当時、オランダの祝祭日(基督教関係も多いぞなもし)や、
長崎奉行船が長崎港外視察で出島近辺を通る時に、旗が掲揚されたそうです。

基督教禁止によりポルトガル人が追放されて、
代わりにオランダ人が出島に入ったわけですが(年間家賃が約一億だったそうで、びっくり☆)。
「阿蘭陀冬至」とかいって、オランダ商館でちゃっかり「クリスマス」を祝っていたってんだから、
なんだそりゃあ~ の世界(大笑い)。
またエゲレスが再三、出島を乗っ取ろうとオランダに仕掛けていたらしいし。
基督教がうんぬんかんぬんは横に置いといて★
諸外国で日本の貿易権獲得に、駆け引きというか取り合いが常に繰り広げられていたんですな。
あああ、【鎖国】と命名したのは後世の人間でしたね。
実際は出島だけでなく、対馬藩が朝鮮、松前藩が蝦夷(アイヌ)、薩摩藩が琉球と、
なんだかんだいって諸外国と繋がりがあってますしなぁ~
明治政府の「徳川幕府悪」を色濃く出す為の方針により、
いろいろな事柄の部分部分が歪曲されて、後世に伝わっているんでしょうね。
それが昨今のお江戸ブームによって、紐解かれ始めたという……
うむぅ~ 感慨深い。

その中に置いても、幕府が関わっている出島の貿易は、またちょっと違いますよね。
江戸時代の文化と唐人文化と阿蘭陀文化が、合い交わって。
他にはない独特の風情ですよね。
いつも長崎市内に入ると肌で感じるといいますか、日本なのに日本じゃあない☆
やはり長崎ってのは独特の風があるなぁ。しみじみ。

他に明治時期に建てられた建物もあったようですが。
疲れもあり、単に興味がないというか(江戸莫迦に明治はいらぬ・笑)、
水分補給のために、中にある休憩所に寄っただけでした。
いやぁ、二時間はうろうろしていたのですよ、これでも。
思ったより見るところがあるといいますか。
実は江戸関係の「料理部屋」とかも、見損ねているのですぅ~
ブログ記事を打つのに、パンフレットを見ていて気付いたという(ショック★)。

洋館の一つ、旧出島神学校は明治11年(1878年)に建てられて、
現存する日本最古のキリスト教(プロテスタント)の神学校なのだそうです。
中には休憩所やレトロな売店がありました。
子どもがかねてより食べたがっていた、「かるめ焼」が売っていたので買いましたv

またこの神学校の中のトイレが面白い造りでしたよ。
昔の造りをまんま使っているから、そこだけはバリアフリーではありませぬが。
出島に行かれた際は、是非そのトイレにも立ち寄ってみてください(笑)。


出口の所にある大きな天秤。
これで、持ち込まれる荷物の目方を確認していたワケですね。
特に砂糖が貴重だったようで、現在の300倍以上の値だったとか★仰天。
オランダ船は、船の錘兼用で砂糖を積んで、日本に来るそうなんですが、
砂糖を下ろすと、今度は銀を錘にして帰っていったそうですからね。
砂糖と銀が同じかよ~ みたいな★


駐車場に向かう途中で、一枚。
(やっぱり単にチンチン電車好きだろうって? ナハハハハ)


長崎・江戸時代へGO!2 出島・前編 [┣おでかけ写真付・長崎]

私めの今回の旅の目的地の一つ、「出島」。

左に見えているのは、路面電車の「出島」停留所。

1636年(寛永13年)に幕府が有力町人25人に築かせた、約15000平方メートルの人工島。
明治時代に周りを埋め立てられましたが、当時の場所に復活させたようですね。
当時と比べると敷地は少し小さい。道路とか走っているので仕方ないのでしょう。

昔は「水門」といって、沖に停泊したオランダ船からの小船が着いたところ。
現在は出入り口。手前に見えてるところは出口(笑)。
右側から入場します。

今年4月1日から11月30日まで、
「長崎さるく(長崎を歩こう)パスポート」と企画をされていました。
「グラバー園」「出島」「長崎歴史文化博物館」の三箇所に行けるチケットです。
大人1000円(通常1700円)、子ども400円(通常高校生が900円、小中学生が580円)
他にもちょこっと特典がありましたよ。
これから秋にかけて長崎に行かれる予定の方は、どうぞぉ~♪
チンチン電車一日乗り放題が500円らしいので、併用するとかなり御得かも。
いやぁ、長崎は坂の町。
車で廻ると、駐車場探しや駐車代が結構大変で、坂はガソリンも食うしね(汗)。


既に三箇所のスタンプを貰った写真(帰宅後撮影・笑)。
ちなみに通常「出島」入場料は、大人500円、高校生200円、小中学生100円。


背後の近代ビルが情緒を殺いでくれてますが(笑)。
左に白い看板? が見える横がチケット売り場。
当時は奉行所役人の詰所のハズ(じゃあツキ之進も偶にはここに? 笑)。

チケット売り場前から一枚。
黄色ののぼりがはためいている建物は、オランダ商館商館長次席(ヘトル)の住居。
現在は案内所や売店、研修室・学習室。
左側に見えている建物は、オランダ船(一番船)船長や商館員の居宅。
一階は倉庫として利用されていたそうな。

メイン通り。なんかいいでしょう、この眺め。

オランダ商館長(カピタン)の事務所・住居。
日本の役人や大名の接待にも使われたそうな。
この二階にとても話好きの案内係のおじ様が待機していて、いろいろ聞けて面白かったですよv
まぁ、出島に行ったら、おじ様の話を聞いてみなんせv
ちなみに出島ガイドツアーも行っているそうで、
黄色ののぼりがある案内所に問い合わせるといいようですよ。



カピタン部屋の裏にある、日本側の貿易事務や管理担当の出島乙名(おとな)の詰所。

建物が沢山復元されていて、中にいろいろな資料・品物が展示されています。
撮影禁止なので外ばかりですが、品物をフラッシュで傷めたら大事ですからねぇ。
機会があれば生で見てくださいませな。
江戸莫迦の私には、とても楽しい世界ですよ☆フフフフフ。


長崎・江戸時代へGO!1 往路~新地編 [┣おでかけ写真付・長崎]

8月22日・23日で、夏休み恒例一泊旅行に行って参りました。
かねてより「長崎~ 長崎~ 長崎に行きたいんじゃあ~」と叫んでいた通り、
【江戸時代の長崎を見に行こうツアー】であります(笑)。

午前九時くらいから、ダンナの運転で出発。
都市高から高速に入り、九州高速の難関(笑)鳥栖Jctを経て長崎道へ。
天気は良いけれども雲が多く、それはそれでキレイな空でしたよ。

高速でヒヤリとする事がありました。
姫路ナンバー(覚えとるでぇ~)が追い越し車線を飛ばしてきたので、
追い越し車線にいたダンナは車線変更して道を譲りました。
変更したすぐに通り過ぎていったから、ありゃあ軽く130、140キロは出ていたでしょうな。
まぁ、そんなのは高速では普通の事なのでしょうが……
我々の前に乗用車が二台、狭い車間で走っていたのですよね。

いきなり先ほどの姫路ナンバーが、
狭い二台の間を横切って、左手に現れた出口へと一気に抜けて行きました。
道が少し下っていたところだったし、うちの車は車間を開けていたので私にはよく見えました★
いやぁ、もぉ勘弁してください。orz
高速で無理矢理横入りし、後続車にブレーキを踏ませるのって、ただの下手糞やん。
目的の降り口が不意に見えて慌てたのでしょうが…… んなのも、下手糞の証拠やん。
キケン運転とかする奴は、高速ば使ってほしくなかばい★
もし接触事故でも起されていたら、確実にこちらも巻き添え喰らってましたからね。
怖い怖い(><)。

トイレ休憩には金立SAへ寄りました。
その後何故かダンナが、ひゃっくりが出て止まらなくなり。
「ヒクッ」って声がやたらに大きいものだから、聞こえる度に子どもが大爆笑☆
しつこく続いてはいましたが、流石に長崎に着くまでには止まってましたよ(笑)。

長崎道はアスファルトではなく、コンクリートだったのですが。
あちこち工事が入っていて、アスファルトに変えていっているのでしょうかね?
走っていると「タンタンタン タンタンタン~」と、
ちょっとぼこぼこしながらリズムが聞こえてくるという。
名物の眠気覚まし「三三七拍子」が聞こえてきませんでした(気が付かなかっただけ?)。
長崎道を走る楽しみの一つなのになぁ~~

そろそろ長崎終点と思ったら、「ながさき出島道路」なる看板が。
ダンナはよくわからないから、とそのまま長崎で降りました。
が、結局、すぐ「ながさき出島道路」に乗る事に。なんだそりゃあ~(笑)。
出島道路から市内に入り、まっすぐ行けば目当ての「出島」だったようですね。
ダンナは市内の道路との交差点で、「うわぁ、どっちだ。右か」と右折してしまいました。

「チンチン電車だぁ~」と歓喜の声を上げ、一枚。

多分、西浜町停留所。
いやぁ、私は広島生まれなので、路面電車が珍しいワケではないのですが。
久々に見るとねぇ、ウヒヒヒヒ。

ダンナはてろてろ走りながら、「ここは中華街付近じゃあなかろうか」と言い出し。
「確かこっちに行ったら」と、地図も見ずに新地に出ましたよ☆
「やっぱりねぇ」なんて、しれっとダイエー兼用の駐車場に入るし(なんで知ってんの?)。
今思うに…… ダンナも長崎は初めてではないので、
早く昼ごはんが食べたくての所業だったのではなかろうか(笑)。
まだ午前11時半を回っていなかったのに、「昼過ぎると込むから~」と新地中華街へ。

私は六、七年振りかな、新地(横浜の中華街は四年前行ったなぁ)。
イベントがあるので、友人に無理を言って連れて来てもらったんですよね。
あの時は感謝。迷惑掛けて、すみませぬ。

ダンナの長崎での目的は、「ちゃんぽんを食べる事」だったので。
これで彼の目的は到着三十分もせずに、終了。早っ★(笑)

新地でお腹が膨れた後、駐車場に引き返していたら「唐人屋敷跡」の看板を発見。
行きたい行きたいと駄々をこね、急遽「唐人屋敷跡」とやらへGO~!
私は今回、四回目の長崎市内訪問でしたが。
(他の市や郡を入れると、もっと長崎県には行ってますよ)
「唐人屋敷跡」は行った事がなかったのですよ。
狭い坂道を縫っていくと、普通の家の間に突如出現。
「あれがそうかも」見たいな感じで。

看板によると、現在は四箇所ほど建物が残っているらしい。
当然住宅街ですから、駐車場はないワケで。
細い坂道を登って建物を見つけたら、私だけ降りて写真撮りに走る☆

天后堂。
普通に住宅のところにあって、入っていいんだか悪いんだか、ドキドキ。
しかも工事中でして。
工事のおじ様やお兄様が、お昼を召し上がっていらっしゃいました。

車を停めた付近に立っていた看板。

観音堂。
住宅地の坂道に停めてる車が気になるので、傍まで行かずに道から。
二箇所だけでいいや、と車に乗って下っていたら、ふと発見。

土神堂。

一箇所だけ見損ねましたが、
説明の看板によると、それは明治に建てられたらしいので、別にいいやね(笑)。


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